献金について

 

1.献身の証としての献金

 

 献金は、会費ではありません。私たちが自分の信仰に従って、神の恵みに応えて自分を献げることです。本来、私たちのものといって誇りうるものは何もないはずですが、キリストに救われれば、私たちの持っているものはみな神から与えられ、委託されているものであることが本当にわかってくるのです。それで私たちは、自分を献げるという意味で、献金をするのです。一人ひとりが自分に与えられたものに従って、信仰を感謝とをもって献げるべきものなのです。

 

 

2.献金の額は信仰によって定める

 

 そこで、献金の額は、神と自分との関係から信仰によって定めるべきなのです。他の人がどれくらい献金しているかなどということは、考える必要もありません。各自が神に対して自分を献げるという信仰に従って定めればよいのです。仮に自分の献金は少ないと思うようなところがあれば、それはキリストに献げられた自分自身とその信仰を、また献げる相手であるキリストを小さく見積もることでもあります。

 

 

3.参考になる一つの目安

 

 そのような場合には、一つの目安として古くから教会に与えられた「十分の一献金」(自分の収入、或いは自由になるお金の十分の一を献金すること)を参考にするのもよいでしょう。これは、そもそも神(ヤーウェ)の民とされた旧約聖書の人々が、地の産物の「十分の一」(申命記14:22以下を参照)、或いはそれと同等の貨幣値を神殿に献げたことに由来するものです。

 しかし大切なことは、献金の額ではなく、その献金を感謝をもって献げるように、なによりも喜んで自分自身を献げるということなのです。

 

 

4.恵みが増せば献金も多く、という姿勢が健全

 

 教会では予算を作りますが、その予算に合わせて献金を定めるのではありません。むしろ、みんなが信仰をもって献げるものに見計らって予算を定めるのです。献金が多くなれば、また伝道のために幾らでもそれを用いる用途が与えられるのです。むろん教会もこの世に存在する以上、この世や人間的事情の影響を受けることでしょう。この点を考慮することも大切なことですが、もっと大切なことは、自分に与えられた恵みが増せば、献金も多くするという姿勢が信仰的に健全なことでしょう。

 

 

5.献金は、恵みの宝の初穂を神に献げるもの

 

 そこで献金は、生活費の余りを差し出すべきものではなく、その初穂を神に献げるものでなければなりません。したがって、維持献金の場合は、第一聖日に献げるのが適切といえるでしょう。紙幣などもなるべくきれいなものを献げるような心遣いも決して侮られるべきではありません。

献金の種類

私たちの教会の経済は、最初から、すべて信仰者の献金によって運営され、成り立ってきました。教会の献金には、大まかに言って次の種類があります。

 

 

1.月定(維持)献金

 これは、教会献金の主要なもので、教会員各自が月額を定めて毎月献金するものです。ここには、客員や求道者の有志の献金も含まれます。

 

2.礼拝献金

 これは、礼拝の席上、神の恵み、御言葉の恵みに応えて自分を捧げる志を証し、また感謝を表すものとして為される献金です。やむを得ず、この教会の礼拝に出席することができず、ほかの場所で各自が聖書を読み、また祈りをしてこの時に礼拝を守った人が、次回教会の礼拝に出席した際に前回の分の献金もするという習慣を心掛けることも、忠実な信仰生活という意味においては大切なことでしょう。

 

3.特別献金

 これは、クリスマス献金、イースター献金など、教会歴に基づいてなされる献金や、受洗記念日、誕生日、結婚記念日、召天、病気回復など記念すべき日、感謝すべき日に神に献げるものです。これらの献金は、教会内外に対する伝道のために直接・関節の費用として用いられます。